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キングダム龐煖(ほうけん)は趙の将軍として史実では実在する!嫌いうざいと言われているが最後はどうなる? 

キングダム龐煖(ほうけん)は趙の将軍として史実では実在する!嫌いうざいと言われているが最後はどうなる? 
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キングダム最強の敵龐煖(ほうけん)ですが、実際龐煖はどんな人物だったのか気になりませんか?

キングダムファンなら龐煖が実在していたということは知っているかもしれませんが、今回は龐煖について紹介していきたいと思います。

史実では龐煖は趙の将軍として趙を支えてきた人物の一人ですが、キングダムの龐煖は武神としてとても強いキャラクターになっており、キングダムファンからも嫌われてしまっています。

将軍だったことからも実際にこのような人物ではなかったと思うので、龐煖を史実からどんな人物で、どのような働きをし、どのように死んでいったのかということを調べました。

今回は「キングダム龐煖(ほうけん)は趙の将軍として史実では実在する!嫌いうざいと言われているが最後はどうなる?」と題しお届けします。

 

龐煖(ホウケン)は史実ではどんな人物だった?

龐煖は中国戦国時代の趙の将軍で、道家、縦横家、兵家です。

様々な肩書がありますが、順に下で説明していきます。

龐煖は趙将軍で、キングダムの龐煖を見ていると以外かもしれませんが、著作を執筆しており文武共に優れていたようです。

キングダムでは武のみに偏っている感はありますが、実際のところは文学にも精通していたようですね。

龐煖は趙の将軍

趙の第9代君主悼襄王が即位したことで、趙に転機が訪れます。

キングダムでも出てきたように悼襄王はあまりいい王というイメージはありませんね。

この悼襄王の失策により龐煖は趙の将軍となります。

この失策とは趙の三大天廉頗を歳だからという理由で、将軍から退け楽乗を後任としたことです。

このことに起こった廉頗は楽乗を攻め戦を起こしていまします。

その結果廉頗は魏へ亡命、楽乗は逃亡してしまします。

そのため将軍の席が空いてしまったため、龐煖が将軍となりました。

 

龐煖道は家思想を修める

龐煖は若いころは楚の深い山奥で道家の隠者である鶡冠子を師として、学問を学びました。

道家出身ということでしたが、龐煖は若いころから軍事に興味を持っており、師などの対話が書として残っていますが、師への質問も天と武の関係をよく聞いていたようです。

道家とは道(タオ)というものがあってそれに従って生きることらしいです。

この道(タオ)という言葉を聞いたことがあるかもしれませんが、これは自然の理で自然に従って生きるということのようです。

このことは政治や国に関しても同じで、法などで厳しくしたり、力で統治するのではなく、自然にありのままの姿の状態が一番いいとされていました。

道家を修めることで、将軍としての資質も作られていったのではないでしょうか?

 

龐煖は縦横家であった

龐煖は縦横家でもあったようです。

縦横家とは中国古代の思想家のことで、外交の策士として、各国間を行き来していた人たちです。

これらの人は巧みな物言いと奇抜な発想で説き伏せて高い地位に上ろうとしていたようです。

キングダムでもあった周辺六ヶ国の韓、魏、趙、燕、楚、斉が手を結んだ合従軍も、縦横家が外交政策として考えたようです。

このことから龐煖も弁が立ったと言われています。

また縦横家として「芸文志」に書籍として「龐煖」二篇を執筆しています。

 

龐煖は兵家でもあった

龐煖は兵家でもあったようです。

兵家とは中国古代の思想家で、軍略と政略を説く人です。

耳にしたことがあるかと思いますが、「孫子の兵法」も兵家の代表的な理論です。

龐煖は武霊王にこの「孫子の兵法」についての意見を問われて、兵家と道家の両方の知識を用いて解説したそうです。

また兵家としても「芸文志」に書籍として「龐煖」三篇を執筆しています。

 

史実での龐煖(ホウケン)の実績は?

学問に秀でたということがわかりましたが、龐煖はどのような実績を残してきたのでしょうか?

史実に残っているものを挙げていきたいと思います。

 

武霊王に仕え兵法を説く

上にも述べたように龐煖は武霊王に仕えており、兵法について説いたりしていたようです。

実際に武霊王は他国をそのまま攻めるのではなく、後継者争いに介入したり、軍制改革をするなどして趙を軍事大国と呼ばれるほど強くしました。

真偽はわかりませんが、このことから龐煖が軍略、外交などを指南したのかもしれませんね。

武霊王の代から仕えており、恵文王、孝成王、悼襄王と4代にわたって仕えてきた趙国の功労者のようです。

現在のキングダムの鄴攻めの時点では結構な歳になっていたと考えられます。

 

燕との戦いで劇辛を倒す

こちらはキングダムでも描かれていたものですね。

燕との戦いで燕の将軍劇辛を討ち取っています。

龐煖と劇辛は昔からの知り合いで、龐煖を親しみやすい人と劇辛は思っており、将軍としてもまだまだ無名だったことから、甘く見ていたようです。

そのため廉頗が将軍の座から去り、龐煖が将軍になったことにより、趙にも勝てるだろうと考え攻め入ります。

ですが将軍の龐煖に返り討ちにされ、劇辛は戦死し、燕軍の2万もの兵士が捕虜にされてしまうという結果になりました。

キングダムでも劇辛は龐煖のことを甘く見ており、あっさりと切り伏せられてしまっていたので、この点は史実から参考にしたのでしょう。

史実ではキングダムのように龐煖が劇辛を討ち取ったのかまではわかりませんが、龐煖は兵家でもあり、軍略に長けてこの戦いで発揮されたのではないでしょうか?

この劇辛軍を撃破したことにより、将軍としての龐煖の名声は瞬く間に上げっていきました。

 

合従軍を率いて蕞を攻める

龐煖は趙、楚、魏、燕の4国の精兵を率いて、秦を攻めたとありました。

ですが、キングダムでもあったように陥落させることができなかったです。

そのため兵を移して斉を討ち、饒安を取ったようです。

4か国の精鋭を率いることができるだけ実力、立場が龐煖にはあったようですね。

キングダムのイメージとは全然違うようですが、実際は軍師よりの将軍だったのではないでしょうか?

あの王翦も龐煖との直接の戦いを避けていたというくらい、戦がうまかったようですね。

 

史実での龐煖(ホウケン)の最後はどうなった?

龐煖は史実ではいつ死んだのでしょうか?

史実ではそのような記録は残っていませんでした。

悼襄王に仕えていましたが、悼襄王が死んでその後子供の幽繆王が即位しますが、その時は徴用されなかったようです。

上にも記載しましたが、もうすでにこのころには武霊王の在位時から考えると60歳以上となっていると考えられますので、引退したのでしょう。

その後も記述がないので、そのまま余生を過ごしたのだと思われます。

キングダムでも鄴攻めの際は死なずにそのまま答えを見つけ消えていくのかもしれませんね。

 

キングダム龐煖(ホウケン)はなぜ嫌われている?

ツイッターで見ていると龐煖を嫌いという人が圧倒的に多いですね。

その理由はなぜなのでしょうか?

王騎や麃公、胡漸、去亥と次々に殺していくからだと思われます。

龐煖が登場すると、人が簡単にどんどん死んでいってしまいますもんね。

ただ物語を面白くする上では重要な人物なのは間違いないですね。

やはり強大な敵があってこそ物語は面白くなりますし、信たちを応援したくなる気持ちも高まりますもんね。

キングダムの龐煖はまさに傍若無人ですが、実際の龐煖は文武両道で戦もうまかった将軍だということを覚えておいて下さいね。

実際そんな悪者でもなかったのにちょっとかわいそうな気がします。

 

龐煖(ホウケン)キングダムと史実まとめ

実際はキングダムの龐煖とは全く別人のような人だったのかもしれませんね。

史実では趙の将軍として龐煖は、優秀な武将だったのでしょう。

キングダムのイメージが強いので、驚いた方も多いのではないでしょうか?

あの王翦も戦うのを避けたくらいですので、相当な知略を持った武将だったことがわかりますね。

実際に王翦は中華統一に大きく力を貸した人物ですので、すごいですよね。

今後龐煖を見る目が変わるかもしれませんね。

以上、「キングダム龐煖(ほうけん)は趙の将軍として史実では実在する!嫌いうざいと言われているが最後はどうなる?」と題しお届けしました。

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